加藤典洋さんの「つるつるしたもの」

樋口裕一さんの小論文の本で読みました。多義的で読み取りが間違っているところがあるかもしれないが。

加藤さんは、1980年代後半にウォーターフロントという言葉が流行り出したことを捉えて、それまでの「水際」「汀」という言葉と比較。これまでにない「つるつるしたもの」を指し示していると論じている。

水と土の境界が入り混じる「汀」に対して、ウォーターフロントは、水と交わらずはね返す、薄いプラスチックのような表面、「つるつるしたもの」だ。

加藤さんは「つるつるしたもの」と対比されるものとして、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」で説かれている「厠」の美についても言及している。飛沫を跳ね返さず外気に逃がす「厠」の構造。しかし「水洗トイレ」が導入されて行き、従来の厠の美は、別のものに置き換わって行く。

外気に接していた厠の話や、先ほどの「汀」という言葉から、自然の中には融通無碍な出入り口があることに気づく。そうした出入り口のようなものが塞がれて、つるつるの殻のようなもので自分と他を分ける、ということが始まった、のだろう。

加藤さんは、ウォーターフロントで説き起こした話を、人の社会の話につなげて行く。様々な事情を持つ人々が接しながら、お互いの事情を察して、あえて踏み込まない関係で付き合う仕方。それが、「つるつるしたもの」の対極だ。「つるつるしたもの」で隔てられていれば、同じ場を共有できはしない。事情がかち合う人同士はだから背を向け合う。背中は、敢えて何も描かれていないが、それだからこそ時に雄弁に語るもの。

 

論題は、「つるつるしたもの」に対置されることを設定して、論ぜよ、というもの。